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ダルビッシュ有の日本ハムとメジャー時代の経歴と面白エピソード

ダルビッシュ有の日本ハムとメジャー時代の経歴と面白エピソード

プロ野球選手、ダルビッシュ有さん(以下、敬称略)の経歴や面白エピソードについて、解説します。

ダルビッシュは、日本ハムで7年、メジャーで10年以上プレーしている、現役メジャー投手です。

NPB時代に、史上初の5年連続防御率1点台を記録し、最高の先発投手に贈られる沢村賞も獲得しました。

メジャーに渡っても、最多勝や最多奪三振などのタイトルを獲得しました。

2023年6月に、メジャー通算100勝を達成しました。日本で93勝していますので、日米通算200勝に、あとわずかです。

というか、この投稿を見ている方にとっては、すでにその記録が過去のものになっている可能性が高いですね。。

WBCでは、日本代表を2回の世界一に導いています。

ダルビッシュは、現役でありながら、レジェントの領域に足を踏み入れている大投手です。

若干長くなるかもしれませんが、最後までお楽しみ下さい。

ダルビッシュの学生時代~プロ入りの経緯

ダルビッシュは、イラン人の父と日本人の母を両親に持ち、大阪府羽曳野市で生まれ育った。

小学校2年生で、地元の「羽曳野ブラックイーグルス」で野球を始めた。

中学校3年生時にはエースとして、全国大会ベスト8、世界大会3位の成績を収めた。当時、すでに球速は144kmだった。

高校進学にあたっては、50校を超える高校からスカウトがあった。

「親元から離れられること」「上下関係が緩いこと」を条件に、東北高校を選択した、

ダルビッシュは、東北高校に進学し、1年生の秋からエースとして活躍した。

2年生の春夏、3年生の春夏と、甲子園に4度出場し、2年夏には準優勝を果たした。

甲子園通算では、防御率1点台、ノーヒットノーラン1回を達成した。

プロ入り前には、計4球団が獲得意志を明らかにし、「松坂大輔以来の怪物」と評されていた。

結果的に、日本ハムに単独1位指名されて、入団が決まった。

契約金1億円、年俸1500万円、出来高5000万円という、高卒新人として史上3人目の最高条件で契約を結んだ。

ダルビッシュの日本ハム時代

2005年:プロ1年目、ダルビッシュは、1月の合同自主トレで、右膝の関節炎を発症した。

トレーニングを制限されていたところ、パチンコ店での未成年喫煙が発覚した。

球団から謹慎処分を受け、東北高校から停学処分を受けた。

2軍でのリハビリを経て、6月に一軍に昇格。

初登板初先発で初勝利を挙げると、以降、ローテーションに定着した。1年目は、初完封を含む、5勝5敗の成績だった。

2006年:2年目からは開幕ローテーション入りし、10連勝や、初の2桁奪三振を記録した。

2年目シーズンは、規定投球回に到達し、防御率2.89、12勝5敗の成績を残した。

ポストシーズンでは、ソフトバンク、中日に勝利し、日本一に輝いた。

2007年: 3年目は、15勝5敗、防御率1.82だった。

シーズンMVP、沢村賞、最多奪三振賞、ゴールデンクラブなど、多くのタイトルを受賞した。

契約更改では、1億2800万円増となる推定年俸2億円で、サインした。

5年目で到達の和田毅らを抜いて最速であり、史上最年少の2億円プレーヤーとなった。

この年の8月、ヒーローインタビューで、タレント紗栄子とのできちゃった結婚を発表した。

2008年:4年目は、16勝4敗、防御率1.88だった。

申し分ない成績だったが、主要タイトルは獲得できなかった。

全ての数字で、ダルビッシュの前に、楽天の岩隈が立ちはだかったからだ。

沢村賞に至っては、選考基準を全項目で達成したが、21勝という勝星が評価された岩隈の単独受賞となった。

選考基準を全て満たして、受賞できなかったのは、1982年の江川以来2人目だった。

2009年:5年目は、15勝5敗、防御率1.73だった。

ダルビッシュは、最優秀防御率、最多勝率のタイトルを獲得し、シーズンMVPに輝いた。

5年目は、右手人差し指の疲労骨折や、右肩や腰の痛みにより、一時的に離脱した。

3年連続で素晴らしい成績を収めたことと、リーグ優勝に大きく貢献したことから、契約更改では、6000万円増となる3億3000万円と高い評価を受けた。

23歳で年俸3億円を超え、イチローを抜く史上最速&最年少での3億円プレーヤーになった。

2010年:6年目は、12勝8敗、防御率1.78だった。

最優秀防御率と、最多奪三振のタイトルを獲得した。

4年連続の防御率1点台は、1959年の稲尾和久以来の記録だった。

オフには、アリゾナ・ダイヤモンドバックスが総額8000万ドル(約65億6000万円)を用意するなど、メジャー挑戦が取り沙汰された。

しかしながら、ダルビッシュは、日本ハム残留を表明。

当時、現役日本人選手では球界最高年俸となる5億円で契約更改した。

24歳での5億円到達は、イチローの25歳を抜いて史上最速&最年少だった。

2011年:7年目は、18勝6敗、防御率1.44だった。

ダルビッシュにとって、NPB最終年となったこのシーズンは、過去最高の記録ずくめだった。

自己最高の232イニングを投げ、自己最高の防御率1.44、自己最多の18勝、シーズン276奪三振を記録した。

極めつけは、日本プロ野球史上初の5年連続防御率1点台を記録したこと。

当然ながら、沢村賞の全項目基準を達成したが、この年は、3年前の岩隈に続いて、田中将大が立ちはだかった。

全基準を達成しながら、2回も受賞を逃したのは、ダルビッシュしかいない。

この年のオフに、テキサス・レンジャーズがポスティングで、松坂大輔を上回る史上最高額の5170万ドル(約38億7800万円)で交渉権を得たことが発表された。

ダルビッシュは、レンジャーズと、6年5600万ドル+出来高400万ドルの、総額6000万ドルで契約合意した。

ダルビッシュは、もともとメジャーには一切興味がないと語っていた。

「メジャーに行くなら野球をやめる」と言っていたくらいである。

ダルビッシュは、移籍会見で、心情の変化をこう述べている。

「僕は、相手打者に強い気持ちで向かっていくのが好き。その相手に試合前から『打てないよ』とか『投げないで』とかいわれ、フェアな対戦をしていないんじゃないかと思った。純粋に、すごい勝負がしたかった」

メジャー移籍発表の同日、ダルビッシュは、タレント紗栄子との離婚を発表した。

テキサス・レンジャーズ時代

ダルビッシュは、レンジャーズと、6年5600万ドル+出来高400万ドルの、総額6000万ドルで契約合意した。

2012年:メジャー1年目は、16勝9敗、防御率3.90だった。

4月の初登板で初勝利をあげると、4月は、5試合に登板。4勝0敗、防御率2.18で、リーグ月間最優秀新人に選ばれた。

5月には、日米通算100勝を達成した。

シーズン後半は、制球難に陥り、フォームの改良を余儀なくされた。

2013年:メジャー2年目は、13勝9敗、防御率2.83だった。

ダルビッシュは、両リーグ最多の277奪三振を記録し、最多奪三振賞のタイトルを獲得した。野茂英雄に次ぎ日本人史上2人目の快挙だった。

このシーズンの奪三振率11.89は、メジャー歴代9位だった。

サイ・ヤング賞(日本における沢村賞)は、投票数2位で、惜しくも受賞を逃した。この年の獲得は、マックス・シャーザーだった。

2014年:メジャー3年目は、10勝7敗、防御率3.06だった。日米通算で、9年連続二けた勝利を達成した。

この年は、前半戦を終えて、8勝と好調だったが、8月に右ひじの炎症で故障者リスト入りした。

リハビリを続けたが、9月以降は、登板できなかった。

2015年:メジャー4年目は、開幕前に、右肘靱帯の損傷が判明した。

ダルビッシュは、開幕前に、トミー・ジョン手術を受けた。

メジャー4年目シーズンは、リハビリと復帰に向けたトレーニングに1年間を費やした。

2016年:メジャー5年目は、7勝5敗、防御率3.41だった。

トミー・ジョン手術からの復帰シーズンだったこともあり、17試合の先発登板にとどまった。

この年、ダルビッシュは、格闘家の山本聖子との間に男児が誕生した。

2017年:メジャー6年目は、10勝12敗、防御率3.86だった。

これは、レンジャーズとドジャース、2チームの通算成績である。

ロサンゼルス・ドジャース時代

ダルビッシュは、メジャー6年目の7月末に、トレードで、ロサンゼルス・ドジャースに電撃移籍した。

ドジャースでは、シーズン途中から、9試合に登板し、4勝3敗、防御率3.44だった。

チームは、29年ぶりのリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズに出場した。

ワールドシリーズで、アストロズと対戦したが、3勝4敗で惜しくも敗北した。

ダルビッシュは、ワールドシリーズ2試合に登板し、2敗と、苦い経験となった。

この年のオフに、フリーエージェントとなり、翌年、シカゴ・カブスへ移籍する。

シカゴ・カブス時代

ダルビッシュは、2018年2月、シカゴ・カブスと6年1億2600万ドルで契約を結んだ。

2018年、カブスでのメジャー7年目は、右肘の故障により、わずか8試合の登板とどまった。

2019年:メジャー8年目は、6勝8敗、防御率3.98だった。

シーズン前半は制球難に苦しんだが、後半は、新球種のナックルカーブを武器に三振の山を築いた。

この年から、YouTubeを活発に更新しはじめ、球界に物申す動画内容が日本メディアでも話題になり始めた。

2020年:メジャー9年目は、コロナの影響で60試合の短縮シーズンとなった。

12試合の登板で、8勝3敗、防御率2.01という好成績を残した。

日本人初となる最多勝のタイトルを獲得。サイ・ヤング賞の投票では、2位にランクインした。

同年、サイ・ヤング賞を獲得したのが、2023年から日本でプレーしているトレバー・バウアーだった。同年のバウアーの成績は、5勝4敗、防御率1.73。

この年のオフに、ダルビッシュは、トレードにより、カブスから、サンディエゴ・パドレスに移籍した。

サンディエゴ・パドレス時代

2021年:メジャー10年目は、8勝11敗、防御率4.22だった。

MLB史上最速での1500奪三振を達成。

しかし、この年は、腰のはりを訴えて故障者リスト入りするなど、調子があがらず、7連敗や10試合勝星なしを経験した。

防御率は、キャリアワーストの4.22だった。

2022年:メジャー11年目は、16勝8敗、防御率3.10だった。

ダルビッシュは、36歳をむかえたシーズンだったが、衰え知らずで、メジャー1年目:26シーズンに並ぶ16勝をあげた。

球団も最大限の評価で応え、6年総額1億800万ドルで契約を延長した。

この契約には、全球団へのトレード拒否権が含まれているため、ダルビッシュは、事実上“生涯MLB”での活躍が約束された。

2023年、ダルビッシュは、日本代表として、WBCに参加した。

メジャー組として一番早く、強化合宿に参加し、後輩への指導に時間を割いた。

特に、変化球の投げ方を、熱心に指導していた。

大会期間中も、食事会の開催などを通して、メンバーとコミュニケーションをとり、チームのまとめ役となった。

大会本選では、予選韓国戦、準々決勝イタリア戦、決勝アメリカ戦の、3戦に登板した。

度々、ホームランの被弾はあったものの、そこから大きく崩れないピッチングで、後続の投手陣のつなぎ役となった。

決勝アメリカ戦では、8回のマウンドをダルビッシュ、9回を大谷翔平が投げるという、奇跡の継投で締めくくった。

最年長者として、チームをリードし続け、精神的支えとなったダルビッシュの貢献は、大きく評価された。

ダルビッシュの面白エピソード

ダイバーシティーあふれる親族

ダルビッシュの親族・家族は、バラエティーに富みすぎてます。

父はイラン出身

妻は元格闘家の山本聖子

元妻は、タレントの紗栄子

1つ下の弟は、元総合格闘家のダルビッシュ翔(Dark翔)

2つ下の弟は、元俳優のKENTA

義理の兄は、元格闘家・故人の山本KID徳郁

握手で怪我

高校2年春の甲子園、開会式後、女性と握手をした際に強く引っ張られて、怪我をした。

右肩の筋肉を傷め、全治2週間と診断される。

身長195センチのダルビッシュを引っ張って故障させるって、どんな怪力女性だったんでしょうか・・・(大阪のおばちゃん??)

やさぐれてパチンコ屋で喫煙

高校3年生、卒業間近に迫った頃、ダルビッシュは怪我の影響により、日ハムの2軍で調整していた。

恐らく、ある程度時間もあったんでしょう。

パチンコ屋で喫煙する姿が報道されてしまいました。

日本ハムから謹慎、東北高校から停学処分を受けました。

本業ユーチューバー

ダルビッシュのウィキペディアの職業欄には、ユーチューバー、ゲーマーと書かれている。

ダルビッシュ自身も、プロ野球選手は、副業であることを認めている。

ヒーローインタビューで結婚報告

プロ3年目のヒーローインタビューで、タレント紗栄子とのできちゃった結婚を発表した。

退団&メジャー移籍報告会見で結婚報告

日ハムを退団し、レンジャーズに移籍することを報告した記者会見で、タレント紗栄子との離婚を報告した。

脱ぎたがりだった

プロ3年目:21歳になる年、ダルビッシュは、月刊女性ファッション誌『GLAMOROUS』で、ヌード写真を披露した。

さらに、女性誌『an・an』でもフルヌード写真を披露した。

自らの変化球の握りを書籍化

2009年:プロ5年目、10種類の球種の握り方と投げ方を写真付きで自ら解説した『ダルビッシュ有の変化球バイブル』を出版した

これまで培ってきた技術を日本球界に還元したかったとのこと。

音楽アルバムのジャケット写真に登場

山崎まさよしらの泣ける歌を集めたコンピレーション・アルバム『オトコナキ』のジャケット写真に起用された。

オリンピックで丸刈り道連れ

ダルビッシュは、2008年:プロ4年目、北京オリンピックに、エースとして参戦。

予選のキューバ戦で、4失点で敗戦投手となった。

責任をとって、頭を丸刈りにしたかと思いきや、後輩の田中将大、川﨑宗則、阿部慎之助の3人も巻き込み事故をくらって、丸刈りにされた。

いまのご時世だと、アウトかもしれませんね・・・

WBC2009で174kmを計測

決勝戦の現地の放送で、108 mph(約174 km/h)と表示された。

球場内の電光掲示板では表示されなかったため、誤計測と思われる。

WBC2023はプライベートジェットでおでまし

ダルビッシュは、強化合宿地の宮崎に、プライベートジェットで乗り込んできた。

機体に横付けした送迎車に乗り込んで合宿地へ向かった。

プライベートジェットは、1回の利用で100万円以上はかかる。

さすが、ダルビッシュ、1流メジャーの貫禄を見せつけた。

WBC事前合宿でダル塾開催

プライベートジェットで早めに乗り込んできたダルビッシュは、後輩達におしげもなく、自らの技術を教えた。

特に、ダルビッシュの伝家の宝刀、スライダーを教える姿が目立った。

WBC2023は決起会で2000万円使う

ダルビッシュは、大会期間前や期間中に、度々、決起会と称した食事会を開催した。

当然、会計はダルビッシュもちであり、1回の食事で、数百万円は使ったらしい。

川崎宗則いわく、5・6回開催されたので、2000万円くらい使っているとのこと。

スポーツに必要なもの

「ぼくはスポーツに関しては、50%の努力と、39%の頭脳と、1%の才能が必要がだと思っています」

とダルビッシュは述べている。残り10%は、なんなのだろう。

以上が、ダルビッシュ有さんの、面白エピソードでした。

最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。

動画投稿もしていますので、ご視聴をお願いします。

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