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吉井理人の実績&面白エピソード!NPB4球団MLB3球団を渡り歩いた男!

吉井理人の実績&面白エピソード!NPB4球団MLB3球団を渡り歩いた男!

元プロ野球選手、吉井理人さんの経歴や面白エピソードについて解説します。

吉井理人は、日本の元プロ野球選手であり、野球指導者、体育学者でもある。

現役時代は近鉄バファローズやNPBの4球団、MLBの3球団でプレーし、2007年:プロ24年目に引退した。その後、コーチとしてもパリーグの3球団で経験を積んだ。

2023年には、WBC日本代表のピッチングコーチを務め、日本の世界一に貢献した。また、同年から千葉ロッテマリーンズの一軍監督を務める。

この記事は、吉井理人の「プロ入りの経緯」、「近鉄・ヤクルト時代」、「メジャー時代」、「日本球界復帰後」、「人物像と面白エピソード」の順で説明します。

ぜひとも、最後までお楽しみ下さい!

プロ入りの経緯

吉井理人は和歌山県で育ち、東尾修とは小学校、中学校、高校が同じでした。

中学生時代には陸上競技の円盤投で近畿大会に出場経験があり、箕島高校では2年生の時に選抜大会に控え投手として出場し、甲子園初登板を果たした。

その後、近鉄バファローズ:現在の楽天イーグルスからドラフト2位指名を受けて入団した。

近鉄バファローズ時代

吉井は1985年:プロ2年目に一軍デビューし、4年目の1987年に初勝利を挙げた。

1988年:プロ5年目は抑え投手として活躍し、50試合に登板して10勝2敗24セーブ、防御率2.69の成績を残し、リーグトップの34セーブで最優秀救援投手の称号を獲得した。

翌年も好成績を残し、日本シリーズでは重要な登板を果たしたが、第5戦で満塁本塁打を打たれ、チームの流れを巨人に傾けてしまった。

その後も1990年:プロ7年目まで主に抑えとして登板し、安定した成績を残した。

1993年:プロ10年目からは先発投手に転向したが、この時期には一軍監督との確執が報じられていた。

ヤクルトスワローズ時代

1995年:プロ12年目、吉井理人は西村龍次とのトレードでヤクルトスワローズに移籍しました。

ヤクルトでは先発投手として活躍し、初の2桁勝利を挙げ、規定投球回にも到達し、リーグ優勝と日本一に貢献しました。

1996年:プロ13年目も先発ローテーションを守り、2年連続で2桁勝利を達成しました。

1997年:プロ14年目、読売ジャイアンツ戦で吉井は光線を受ける事件に遭遇しました。観客が顔面に光線を照射し、吉井は抗議する場面がありました。

この年、吉井は最優秀防御率のタイトル争いに加わり、素晴らしい投球を見せましたが、防御率タイトルはわずか0.14差で逃しました。それでも、吉井は自己最高の13勝を記録し、リーグ優勝と日本一に貢献しました。

シーズンオフ、吉井はFA権を行使しました。メジャーリーグを含む複数の球団から声がかかりましたが、野村克也監督は吉井に「ヤクルトを出なさい」と助言しました。

野村監督は、アタマを使った野球で知られるが、実際は情に厚く、親身になって選手のことを考える監督だった。

つまり、多くの球団がおまえを必要としているし、請われるうちが華、外の世界も知ってステップアップしてこいと吉井の尻をたたいてくれたのだった。

メジャー時代

吉井はNPB史上初のFA権行使により、メジャーリーグのニューヨーク・メッツと1年20万ドルの契約を結んだ。

1998年:プロ15年目にはメジャーリーグデビューし、初先発で初勝利を挙げた。

シーズン前半は良好な成績を残し、日本人メジャーリーガーとして2人目の完投勝利も達成。後半戦では成績が低迷したが、2年500万ドルでメッツと再契約した。

翌年は怪我に悩まされ、前半戦は成績が振るわなかったが、後半戦で復調し、チームの月間最優秀投手にも選ばれた。ポストシーズンでも活躍し、リーグチャンピオンシップシリーズで先発登板を果たした。

2000年:プロ17年目、吉井はコロラド・ロッキーズにトレードされた。成績は振るわず右上腕の手術を受けシーズンを終えた。

翌年、モントリオール・エクスポズと契約した。NPB/MLB通算100勝を挙げたが、怪我や成績の低迷に悩まされた。

2002年:プロ19年目にはメジャー通算30勝を達成したが、怪我によりシーズンを終え、FAとなった。

日本球界復帰後

2003年:プロ20年目、吉井はオリックス・ブルーウェーブと契約しましたが、成績は振るわず、チームも最下位に終わりました。

翌年には戦力外通告を受けました。他球団との交渉はまとまりませんでしたが、近鉄時代の恩師である仰木監督の進言で再入団しました。

2005年:プロ22年目には再出発し、6連勝を記録、翌年も先発として活躍しました。

2007年:プロ24年目にロッテマリーンズに移籍し、その年の勝利が最後の勝利となりました。その後、戦力外通告を受け、現役引退を決めました。

吉井の人物像と面白エピソード

吉井の愛称は「おいやん」で、趣味はギターと競馬です。極度の嫌煙家でもあります。

筑波大学大学院で体育学修士の学位を取得するために野球のコーチング理論を研究しており、2016年には修士の学位を授与されました。

近鉄バファローズが合併によって球団が消滅する最後の試合では、オリックスの選手として参加し、試合後には胴上げに参加しました。

吉井は公式ブログで独特なニックネームで選手たちを表現し、記事の最後には必ず「ほな、また」という言葉を使っています。

吉井はJRAの馬主登録を行い、所有馬の一部が競走に出走しました。

吉井は野茂英雄に競馬を教え、見返りにフォークボールを教わったと語っています。

吉井理人の実績とエピソード解説は以上となります。

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