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松井稼頭央監督の現役実績&面白エピソード!西武・楽天・メジャーで活躍!

松井稼頭央監督の現役実績&面白エピソード!西武・楽天・メジャーで活躍!

元プロ野球選手、松井稼頭央さんの経歴や面白エピソードについて解説します。

松井は、日本で18年間、アメリカで7年間プレーしました。

走攻守、全てトップオブトップ!日本球界最強のオールラウンドプレイヤーです。

日米通算2700本安打、トリプルスリー、盗塁王、ゴールデンクラブ、ベストナインと、輝かしい成績を収めています。

引退後は、西武のコーチや監督を務めています。

この記事は、松井稼頭央の「プロ入りの経緯」、「西武時代」、「メジャー時代」、「楽天時代~引退まで」、「人物像と面白エピソード」の順で説明します。

ぜひとも最後まで、お楽しみ下さい。

プロ入りの経緯

松井は、小学校・中学校時代、全国大会出場を目指し、野球漬けの日々を過ごした。

しかし、全国大会出場はかなわず、悔しい思いをした。

高校では甲子園に行くことを心に誓い、名門PL学園に進学した。PL時代は主に投手して活躍。

1年生の秋季大会は、肘の怪我で投げられなかったが、チームは勝利し、春のセンバツに出場した。

センバツ準々決勝で、痛み止めの注射を打って先発登板したが、早々に降板した。

その後、怪我の影響でほとんど投げられず、2年生夏と3年生春の甲子園は、出場できなかった。

3年生夏の大阪府予選では、好投したが、決勝で、近大付属高に逆転負けを喫した。

試合後にはベンチ横で涙を流す一幕もあった。

松井には、ドラフト前に、複数球団が興味を示した。

最終的に、西武が3位指名し、野手での入団が決まった

西武時代:プロ1年目~10年目

1994年:プロ1年目、松井は、二軍の試合で、悪送球を繰り返し、24失策を記録。

走塁も素人同然で、スライディングの技術は皆無だった。

1年目に、打撃コーチの進言により、スイッチヒッターに転向した。

松井は持ち前の努力で、左打者の打ち方をみるみるうちに習得していった

1995年:2年目に、松井は、一軍で初出場した。

69試合に出場して21盗塁を記録。一軍に定着し、以降、西武時代、一度も二軍に落ちなかった。

1996年:3年目は、ショートのレギュラーとして活躍し、130試合にフル出場。

50盗塁を決め、リーグ9位の打率.283を記録した。

1997年:4年目は、62盗塁でパ・リーグ盗塁王、打率.309でリーグ4位となり、リーグ優勝に貢献した。

1998年:5年目、松井は、初めて、シーズンMVPを受賞した。

2年連続で盗塁王に輝き、打率も.311とチームで唯一3割台を記録。

179安打を記録したが、イチローに2安打及ばず、最多安打のタイトルは逃した。

1999年:6年目、最多安打(178本)と盗塁王(3年連続)のタイトルを獲得した。

自身初の2桁本塁打となる15本塁打を放ち、打率はリーグ2位の.330だった。

2000年:プロ7年目、松井は故障に悩まされながらも、全試合に出場。

打率は.322で、本塁打は自身初の20本超えとなる23本塁打を記録した。

この年はイチローの日本最終年であり、最終試合で、「あとは稼頭央に任せた」と言われた。

この年の元旦、タレントの菊池美緒と結婚した。

2001年:プロ8年目、松井は、通算1000本安打を達成。

守備面では失策が減少し、ベストナインに選ばれた。

2002年:プロ9年目、全140試合に出場し、キャリアハイの成績を達成。

打率.332、36本塁打、33盗塁と、トリプルスリーを達成。

スイッチヒッターでのトリプルスリー達成は史上初。

4年ぶりのゴールデングラブを受賞し、ベストナインは、満票で受賞した。

2003年:プロ10年目、松井は、自身が初めてのスランプと評するほど、不振に陥った。

走攻守、全てで、成績を落とした。

それでも、7年連続で打率3割を記録し、ベストナイン・ゴールデングラブを受賞した。

2003年シーズン終了後、松井は、FA権を行使し、メジャーリーグへの移籍を果たした。

メジャー時代:メッツ、ロッキーズ、アストロズ

松井は、ニューヨーク・メッツと3年2010万ドル(約23億円)で契約した。

2004年:プロ11年目、松井は手の負傷でシーズンに出遅れた。

シーズン中、好調な時期と不振な時期を繰り返した。

シーズンを通して、114試合しか出場できず、打率は.272、7本塁打、14盗塁だった。

2005年:プロ12年目、松井は二塁手として起用された。

故障により出場が制限され、87試合の出場にとどまった。打率2割5分と、前年の成績を下回った。

2006年:プロ13年目、松井は、膝の怪我で開幕をマイナーリーグで迎えた。打率2割と低迷した。

同年の6月、松井は、トレードにより、コロラド・ロッキーズに移籍した。

ロッキーズ移籍後、当初はマイナーでプレーした。

メジャー昇格後、32試合に出場し、打率.345、2本塁打、19打点、8盗塁を記録した。

プレーオフでは、逆転満塁本塁打を放ち、ワールドシリーズ出場を果たした。

その後、松井はヒューストン・アストロズと契約。

2008年:プロ15年目、松井は、アストロズで2番打者として活躍。打率.293を残し、チームの打撃成績を底上げした。

2009年:プロ16年目、日米通算2000安打を達成。しかし、故障に悩まされ、盗塁数は減り、打率.250と低迷。

2010年:プロ17年目、松井は、先発から外れることが多く不振が続いた。

アストロズを解雇され、ロッキーズと再契約した。

ただ、再びメジャーに昇格することはなかった。松井のメジャー挑戦は、7年間で幕を閉じた。

日本球界復帰:楽天イーグルス~西武で引退

松井は東北楽天イーグルスと総額3億円の2年契約を結んだ。

2011年:プロ18年目から7年間、松井は楽天でプレーした。

楽天時代の4年間、常に、怪我との闘いにより、打撃不振に苦しんだ。

そんな中でも、2013年:プロ20年目には、WBCに出場し、開幕前の不振を乗り越えて復調した。

この年、チームはリーグ優勝と日本一を果たした。松井は、キャプテンとして、優勝旗を受け取り、祝勝会で乾杯の音頭をとった。

意外にも、松井にとって、西武時代を含めて、4度目の挑戦で、初めての日本一だった。

2014年:プロ21年目に、日米通算2500本安打を達成した。2015年:プロ22年目に、NPB2000本安打を達成。

2017年:プロ24年目に、NPB史上初の「スイッチヒッターとして2000本安打・200本塁打」を達成した。

2018年:プロ25年目、西武で、選手兼コーチを務め、この年をもって現役を引退した。

引退後は、西武で、コーチ・監督を務める。

松井稼頭央の面白エピソード

本名は、松井和夫

登録名の「稼頭央」には「中央で先頭に立ち、活躍する」という意味が込められている。

スポーツマン№1決定戦を制覇

1997年大会で、総合優勝を果たした。

種目「DASH」で、飯田に背中を見せつける大差で勝利。飯田は、松井の走りを見て驚嘆した。

「SHOT-GUN-TOUCH」では、ダイビングをせずに、1位になった。

2000年大会の「GALLON THROW」では、名だたる格闘家やサミー・ソーサを退け、1位になった。

身体能力が異常

プロ4年目のオールスターゲームのスピードガンコンテストで球速149km/hを記録。

当時の東尾監督に、短いイニングなら確実に抑えられると言われた。

バレーボールでなら、ダンクシュートができる。手が小さいので、バスケットボールは片手で掴めない。

陸上、レスリング、なら間違いなくメダルを取れると言われた。

以上が、松井稼頭央さんの現役実績と面白エピソードでした。最後までご視聴頂き、本当にありがとうございました。

他にとりあげてほしい選手がいれば、コメント欄で教えて下さい。

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