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【天才が認めた天才】広島カープ前田智徳の経歴と面白エピソード27選!

【天才が認めた天才】広島カープ前田智徳の経歴と面白エピソード27選!

元プロ野球選手、前田智徳さんの経歴と面白エピソードを紹介します。(以下、敬称略)

前田は、プロ通算24年、広島カープ一筋でプレーした選手です。

主要な打撃タイトルは獲っていないため、“無冠の帝王”と呼ばれていますが・・・

プロ通算安打2119本、通算打率.302、ベストナインとゴールデングラブを、それぞれ4回獲得した輝かしい実績の持ち主です。

なにより、前田は、数字やタイトルだけでは測れない選手です。

“孤高の天才”と呼ばれるだけあり、多くのプロが認めた“唯一無二”の天才です。

落合博満やイチローのような、超一流の打撃の天才が認めた“真の天才”です。

この記事では、そんな天才、前田智徳さんの経歴や面白エピソードを解説していきます。

ぜひとも、最後までお楽しみ下さい!!

前田智徳の経歴:プロ入りの経緯

前田は、熊本県玉名市出身。中学生の時に軟式野球を始める。

熊本工業高校に進学。2年生の時の春・夏、3年生の時の夏の計3回、甲子園に出場する。

3年時には、主将・4番・センターで出場し、チームの柱を担うが、2回戦で敗退する。

大会後、11球団が挨拶に訪れるほど、前田の評価は高かった。

前田は、熱心に誘いがあった地元九州の福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)への入団を熱望していた。

しかしながら、ドラフト当日、ホークスからの指名はなく、広島カープが4位で指名した。

前田は、涙を流して、プロ入りを拒否し、広島カープに対しても固く口を閉ざした。

しびれを切らした、広島の宮川スカウトの一言で、前田は広島入りを決意した。

「ダイエーは指名しなかったけど、俺達は指名の約束を守ったぞ。男だったら約束を守れ!」

広島以外の球団が前田を指名しなかった理由は、ドラフト前に各球団に出回った文書にあった。

文書の内容について、広島の宮川スカウトが、こう話している・・・

「後輩が他校の生徒に殴られたと知った前田が、単身、乗り込んで仕返しをしたという内容だった」

前田が暴力を振るったかは定かではないが、高校時代から群れずに勝負する男だった。

前田智徳の経歴:広島カープ時代

1991年、プロ2年目、開幕スタメン入りを果たし、レギュラーに定着する。

主に、2番・センターで、129試合に出場し、打率.271、107安打、4本塁打、25打点、14盗塁の成績を残す。

外野手としては史上最年少の19歳でゴールデングラブ賞を受賞。以降、4年連続で受賞する。

4年ぶりのチームのリーグ優勝に貢献したが、前田にとって、これが最初で最後のリーグ優勝となった。

プロ3年目、主に3番で、全130試合に出場する。

打率.308(リーグ5位)、152安打、19本塁打、89打点(リーグ2位)、18盗塁の成績を残す。

前田は、この年、初めて、外野手のベストナインに選ばれた。以降、3年連続で選出される。

プロ4年目、打率.317(リーグ4位)、27本塁打(リーグ3位タイ)の成績を残す。

プロ5年目、打率.321(リーグ2位)、20本塁打(リーグ5位タイ)の成績を残す。

1995年、プロ6年目、一塁走塁時に右アキレス腱を断裂する大怪我を負う。

前田は、選手生命の危機に陥り、シーズンを棒に振った。

前田は、怪我に打ちひしがれて、高校時代の恩師・田爪を訪ねた。

慰めの言葉を口にした田爪に、前田は嘆いた・・・

「先生、足が取りかえられるもんなら、取りかえたいんじゃ・・・」

プロ7年目、8年目は、怪我による離脱を挟みながら、なんとか100試合に出場し、打率3割台の成績を残す。

プロ9年目、足の状態が良く、シーズン中盤まで3冠王の位置にいるほど好調な成績を収める。

127試合に出場し、打率.335、169安打、24本塁打、80打点で、4年ぶりにベストナインに選ばれる。

打率は、2厘差で横浜ベイスターズの鈴木尚典に敗れ2位となる。

この激しい首位打者争いのエピソードは、のちほど紹介する。

プロ10年目に、足の状態が悪化し、108試合の出場に留まるがなんとか打率.301を達成。

2000年、プロ11年目、足の状態がさらに悪化し、手術を受ける。

この年、前田は、FA権を取得するが行使せず、2001年、プロ12年目まで、リハビリと怪我との闘いに費やす。

手術後の前田は、絶望に打ちひしがれて、衝撃の言葉を残した。

  • 「前田智徳はもう死にました」
  • 「今プレーしているのは私の弟です」

前田の言葉には、もう自分の理想とする打撃や走塁はできない、過去の自分と決別した、という意味が込められていた。

2002年、プロ13年目、前田は、過酷なリハビリに耐え、絶望の淵からなんとか這い上がった。

123試合に出場、打率.308、130安打、20本塁打を記録し、カムバック賞を受賞する。

2003年から2007年までの5年間、ほぼ全試合に出場し、打率3割前後の安定した成績を残す。

特に2005年、プロ16年目は、目覚ましい活躍を見せた。

全146試合に出場し、打率.319、172安打、32本塁打、87打点だった。

安打と本塁打でキャリアハイ、打率と打点はキャリア2番目の成績を残した。

2007年、プロ18年目には、前田は、NPB史上36人目となる2000安打を達成した。

2008年、プロ19年目から、若手起用、守備・走塁重視のチーム方針から先発を外れる機会が増える。

この年から、プロ引退の2013年までの5年間、前田は、代打の切り札として、活躍する。

2013年、前田は、左手首骨折の影響もあり、現役生活24年間に幕を閉じた。

10月3日のマツダスタジアムでの中日戦が引退試合となり、試合後にセレモニーが行われ、挨拶をした。

前田は、引退会見で、24年間の野球人生を、苦しみと感謝の思いで振り返った。

  • 「ケガばかりで、いろんな人に迷惑をかけたし、思うような期待にも応えられなかった。そういうところは、非常に残念です。つらい野球人生でした。」
  • 「24年間今日まで、こんな故障だらけの選手を最後まで応援してくれて、本当にありがとうございましたという感謝の気持ちでいっぱいです。」

前田は、引退後、主に、野球評論家・解説者として活動している。

前田智徳の面白&天才エピソード27選!

➀やんちゃな高校時代~県大会決勝でブチ切れ~

前田は、高校3年生の時、熊本県大会の決勝で、東海大二高と対戦した。

東海大二高の投手・中尾は、勝負を避けるように、ボールを2つ先行させた。前田は、バットを持ったままマウンドに歩み寄った。

「勝負せんかい!ストライク入れんかい!」と怒鳴った。

中尾も「何やと!」とやり返したため、球審が間に割って入って制した。

プレー再開後、中尾の勝負球を、前田は、見事ライトスタンドへ打ち込んだ。

この試合に勝った熊本工業高校は甲子園に出場した。

②天才の片鱗を見せた高校時代~甲子園初戦で号泣~

甲子園初戦の日大三島戦で、前田は1回表にタイムリーヒットを放った。

しかしながら、自らのバッティングに納得いかなかった前田は・・・

「だめです。俺はもうだめです」と頭を抱え込んで泣き崩れ、守備につこうとしなかった。

③超気分屋

前田と対戦するキャッチャーは、前田の打席に入る時の表情やしぐさで、その日の前田のやる気が分かったという。

中日の中村武志、ヤクルトの古田敦也などが口をそろえて同じことを言っている。

  • 「やる気がない日は、顔をしかめて、ため息をつきながら打席に入ってくる。」
  • 「全くやる気がないので、スイングしないか、勝手に凡退してくれる。対戦バッテリーにとって、超ラッキーな日だった・・・」

④対戦投手の球がしょぼいとバットは降らない

ある技巧派投手との対戦で、前田はバットを1度も振らず、怒った表情でベンチに戻ってきた。

川口和久コーチが前田に、なんで振らなかったか尋ねたところ、前田はこう答えた。

「あんな気のない甘い球を投げるのはピッチャーじゃない。バットを振る気にならんのです」

⑤ツーベースヒットでブチ切れ

前田にとって、ツーベースヒットは、ホームランの打ち損ない、完全なるミスらしい。

たびたび、セカンドベース上でブチ切れている姿が目撃された。

⑥5打数5安打で不満をぶちまける

「まともに打てたのはライトフェンス直撃の1本だけ。他は、ただ当てただけで打ててない。」

⑦前田のヒットの定義

「ヒットはバットの芯でボールを捉えたものだけを言う」

⑧前田のホームランの狙い方

「ホームランを狙うというよりは、ホームランにできる球を狙う」

⑨前田にとって一番印象的な打球はファール

引退後の取材で、野球人生で一番印象的な打球を聞かれ、こう答えた・・・

「ファールなら一度ある」

⑩イチローに憧れられる

現役時代のイチローは、前田に関して、こう語っている。

  • 「あの人のバッティングにはかなわない」
  • 「僕のことを天才だという人がいますが、本当の天才は前田さんですよ」

⑪落合博満に認められる

落合博満は、1999年、引退後翌年のインタビューで天才打者について語った。

  • 「今の日本球界に、俺は2人の天才打者がいると思っている。1人がイチローで、もう1人が前田。」
  • 「前田の打撃は、プロ野球50年の歴史の中で、ずっと理想とされてきたフォームといえる。みんながお手本にしていい、生きた教材」

落合は、後輩の打撃指導の時、よくこう言った。

  • 「広島の前田を参考にしろ」
  • 「真似して良いのは前田だけ」

⑫達川光男に感心される

  • 達川:「打席でどんな球を待っとるんや?」
  • 前田:「いや、来た球を打つんですよ」
  • 達川:「凄いな、お前」

⑬対戦投手のデータを与えてはいけない

元広島カープのコーチ、笘篠賢治は、前田へのデータの与え方について振り返っている。

  • 「無意味な情報と先入観によって、打撃がおかしくなるだけ」
  • 「前田は相手が誰であろうと関係ない。きた球を打つだけ…」

⑭緒方孝市曰く“命をかけた武士” だった

元チームメイトだった緒方孝市は、前田を独特の表現で評した。

  • 「23年間いろんな選手を見て、自分の中でナンバー1は前田智徳」
  • 「武士みたいな表現をよくされるけど、まさにその通り」
  • 「何か命をかけた真剣勝負してますよ。野球じゃない何かに自分の命をかけてる感じ」

もはや、野球じゃないとは・・・

⑮野村克也が前田を採らなかったスカウト陣を叱責

当時ヤクルトの監督だった野村克也は、プロ入り1年目の前田と対戦して、スカウト陣をきつく叱責した。

「なんであの選手がうちのドラフトリストにないんだ」

⑯前田欠場で相手バッテリーが大喜び

当時、セリーグの各球団は、広島と対戦する際、前田が試合に出るのと出ないのでは大違いだった。

中日の川上憲伸と中村武志のバッテリーは、広島戦の前に球団関係者から前田欠場の情報が伝えられていた。

川上は、「今日はいけるぞ!」と意気揚々と試合に臨むと、スタメンにはばっちりと前田智徳の名が刻まれていた。

川上は、心の動揺を抑えきれず、負け投手となった。

⑰一流投手たちの前田の評価コメント

元中日の今中慎二談:

  • 「僕の中で特別な存在は前田と落合博満さんの二人だけ」
  • 「僕を“コノヤロー!”という気分にさせたのは後にも先にも前田だけ」

元ヤクルトの伊藤智仁談:

  • 「僕が対戦したバッターではナンバーワン」
  • 「本気になった前田には、どんなボールも通用しなかった」

元巨人の槙原寛己談:

  • 「真ん中のボールは平気で見逃すくせに、難しいボールは確実にヒットにする」
  • 「乗っている時と乗っていない時とで、あれほど差のあるバッターもいなかった」

⑱前田が苦手だった投手

中日ドラゴンズの山本昌と小林正人である。

特に、小林が登板した時には、前田は交代を申し出るほど苦手としていた。

⑲Mr.パーフェクト槙原を挑発

元巨人の槙原寛己は、1994年、広島戦で完全試合を達成した。

怪我で欠場していた前田は、記者団にこう言った・・・(江藤も怪我で欠場)

「槙原さんに言うとってください、『わしと江藤さんのいないカープを抑えて、そんなにうれしいですか』と」

さすがに、槇原さん、かわいそうですよね。。欠場しておいて、イチャモンつけられるって・・・

誰が出ていようが、欠場していようが、完全試合は超嬉しいでしょ!!

⑳醜い首位打者争いを嫌い出場拒否

1998年、プロ9年目、前田は、横浜ベイスターズの鈴木と激しい首位打者争いを繰り広げた。

シーズン最終戦の広島対横浜の直接対決を残して、打率は、鈴木.337、前田.335だった。

横浜の権藤監督は、「広島が前田を出場させるのなら、鈴木を休ませて、前田を全打席敬遠する」と発言。

これを聞いた前田は「ファンにみっともないものを見せたくない。敬遠されるくらいなら試合に出ない」と出場を拒否。

結果的に両選手が欠場して、鈴木が首位打者になった。

㉑2000本安打達成で「残念」「悔しい」

  • 「自分個人の事でここまで騒がれるのは非常に残念な事。ここまでチームの戦い方を考えると悔しい思いばかりだし、自分が怪我などでいいシーズンを送れていないので、責任を感じています」
  • 「怪我をして、チームの足を引っ張って来ましたけど・・・。本当にね・・・こんな選手をね、応援して頂いて・・・ありがとうございます」

㉒同僚のルイス・ロペスに胸ぐらを掴まれる

2002年、前田が手術から復帰した年、ある雨の日の試合だった。

ルイス・ロペスがセンター前ヒットを放ったが、セカンドランナー前田は三塁でストップした。

前田の走塁に不満を抱き、というより、打点が稼げなくて怒ったロペスは、ベンチ裏で前田の胸ぐらを掴んだ。

ロペスはこの事件で、10日間の謹慎処分を受けた。

㉓バットへの異常なこだわり

材質・重さ・形状はもちろんだが、木目や叩いた時の音などにもこだわり抜いた。

前田は、一番気に入ったバットは試合には使わず、観賞用に大切に保管していた。

当然、バットは、どんなに頼まれても人にあげないため、サインバットは一切出回っていない。

㉔オールスターでのヤジに古田が引いた

古田は、前田を寡黙な人間だと思っていた。

オールスターで同じベンチに座った時に、チームメイトを大声でヤジりまくる前田を見て、、「前田すげえ喋るじゃん!」と驚いたらしい。

㉕ファンへの暴言にみんなが引いた

1998年、首位打者争い真っただ中の試合のあと、女性ファンが「前田さん、がんばってください!」声をかけた。

前田は、「お前に言われんでもわかっとるわ!!!」と大声で言い返した。

㉖スイーツ大好き

前田のスイーツ好きは有名で、現役時代から菓子パンやケーキなどが大好物だった。

球団コラボメニュー企画で、「俺の休日!」と題打ったスイーツを考案した。

前田の好みをふんだんに織り込んだ“フレンチ・パフェ“が、マツダスタジアムで発売された。

㉗孤高の天才が陽気なおじさんと化す

現役引退後は、川上憲伸や古田敦也のYouTubeチャンネルに出演し、軽快なトークを披露している。

特に、川上憲伸のチャンネルでは、嬉しそうにケーキを食べながら、楽しそうに話す前田の姿が見られる。

前田は、引退翌年に、広島で開催された「宮島清盛まつり」に平清盛に扮して登場した。

メイクにつけ髭、甲冑姿という、現役時代ではあり得なかった“はじけぶり”を披露している。

前田は、現役時代、笑顔を見せることなく、時に鬼の形相で、理想の打撃を追い求め、怪我と闘い続けてきた。

現役を引退した今、趣味のゴルフ、スイーツ、そして実は大好きな野球談議を楽しんでいる。

以上が、前田智徳さんの経歴と面白エピソードでした。

最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。

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