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【WBC優勝監督】栗山英樹の現役時代の経歴&面白エピソード!大谷翔平を育てた男

【WBC優勝監督】栗山英樹の現役時代の経歴&面白エピソード!大谷翔平を育てた男

元プロ野球選手、元日ハム・WBC監督の栗山英樹さんの経歴と面白エピソードを解説します。

栗山は、現役時代は、ヤクルトスワローズで、7年間、外野手として活躍しました。

引退後、約20年は、野球解説者、アマチュア指導者、大学教授など、幅広く活動しました。

2012年から10年間、日本ハムファイターズの監督を務め、リーグ優勝2回、日本一1回に導きました。

2021年から、日本代表の監督に就任し、2023年WBCで、日本を優勝に導きました。

この記事では、栗山英樹さんについて、「プロ入りの経緯」、「現役時代」、「監督時代」、「人物像と面白エピソード」の順に解説します。

ぜひとも最後まで、お楽しみ下さい。

プロ入りの経緯

栗山は、東京都小平市出身。兄の誘いで小学校時代に軟式野球を始めた。

中学3年時に地元のポニーリーグチームに所属し、日米大会で投手として活躍してMVPを獲得した。

高校は創価高校野球部に入部し甲子園出場を目指した。

主将兼エースとして活躍するも甲子園出場は叶わなかった。

高校卒業後、教員を目指して、東京学芸大学教育学部に進学。硬式野球部に入部した。

1・2年生の時に、投手として、リーグ制覇を経験するも、右肘の故障をきっかけに野手に転向した。

東京新大学野球連盟での通算成績は、投手:25勝8敗、打者:打率.389で、リーグ史上3位の優れた成績だった。

在学中に教員免許を取得し、教員になる予定だったが、野球への夢を捨てきれなかった。

ヤクルトスワローズの入団テストを受けて合格し、1984年に、ドラフト外入団した。

現役時代:ヤクルトスワローズ

栗山は、プロ1年目、プロのレベルの高さに驚き、野球を辞めることばかり考えていた。

2年目の試合中、栗山は、突然、強烈な目まいや立ちくらみに襲われた。

メニエール病という平衡感覚が狂う難病を発症した。

1軍と2軍を行き来していた栗山は、症状を隠して試合に出続けた。

1986年:プロ3年目には、当時のコーチと監督のすすめで、スイッチヒッターに転向した。

猛練習の結果、6月から、1番ライトで、レギュラーに定着した。

規定打席に満たないものの、打率.301を記録した。

しかし、この年のシーズンオフに、メニエール病が再発し、長期入院を余儀なくされた。

1987年:プロ4年目は、メニエール病の再発やケガに苦しんだ。打撃不振に陥り、レギュラーを外された。

1988年:プロ5年目は、1番センターのポジションで、レギュラーをつかみ、ヒットを量産した。

シーズン序盤の出遅れにより、規定打席に33打席届かなかったが、打率.331を記録した。

1989年:プロ6年目は、開幕からレギュラーとして定着した。

シーズン途中、打撃不振に陥り、打率.255だったが、初めて規定打席に到達した。

広い守備範囲が評価され、ゴールデングラブ賞を受賞した、

1990年:プロ7年目、メニエール病の症状が改善せず、レギュラーの座を奪われるなど苦しい時期が続いた。

さらに、古傷の右肘の故障も再発し、極度の不振にあえいだ。

栗山は自分に特別な才能がないことを自覚していた。

だからこそ、120%の努力をすることが、自分がプロとして生きるための最低限の条件であると感じていた。

栗山は、その努力ができなくなったため、プロ引退を決断した。

7年間という短い現役生活に幕を閉じた。

現役時代、病気によって100%の力を発揮できなかったことが、のちの監督としての栗山采配につながっていると思います。

その時、選手やファンが望むことを、ちゅうちょせずにやろう、後悔だけは絶対しない、という決断につながっている気がしてなりません。

監督時代:日本ハムファイターズ

栗山が監督に就任した2012年:1年目は、エースのダルビッシュ有が抜け、苦戦が予想された。

吉川光夫や中田翔などの若手選手の活躍に支えられて好調を維持し、チームはリーグ優勝を果たした。

クライマックスシリーズでもソフトバンクを4連勝で下した。

日本シリーズでは巨人に敗れて日本一はならなかった。

2013年:2年目は、大谷翔平が入団してきた。

高卒1年目の大谷を二刀流で起用し、国民的話題を集めた。

さらに、陽岱鋼が盗塁王、アブレイユがホームラン王、4番の中田翔が3割を達成するなど攻撃面では、明るい話題が多かった。

しかしながら、防御率や守備率は低迷し、チームは最下位でシーズンを終えた。

2014年:監督3年目は、大谷が日本プロ野球史上初の10勝10本塁打を達成した。

チームはリーグ3位となり、2年ぶりにクライマックスシリーズに進出したが、ファイナルステージでソフトバンクに敗れた。

2015年:4年目は、ソフトバンクに12ゲームの大差をつけられて2位だった。

クライマックスシリーズでは、ロッテに敗れた。

2016年:5年目は、開幕からソフトバンクに最大11.5ゲーム差と、大きく引き離された。

栗山は、1試合ずつ我慢を積み重ねて、ゲーム差を詰めていった。

天王山となった9月のソフトバンク最終2連戦で2連勝し、マジックを点灯させると、日本ハムは、4年ぶりのリーグ優勝を果たした。

日本シリーズでも広島に勝利し、栗山は初めての日本一を達成した。

2017年:監督6年目から、2021年までの5年間は、5年連続Bクラスに沈んだ。

栗山は、2021年シーズン終了後に、監督を退任した。

その後、日本代表の監督に就任し、2023年のWBCで日本を優勝に導いた。

WBC終了後、日本代表の監督を退任した。

栗山の人物像と面白エピソード

栗山は、独身で結婚歴はない。

野球解説者時代に、元アナウンサー福島弓子(イチローの妻)と元プロテニスプレイヤー伊達公子と、交際歴がある。

日本のプロ野球監督で、国立大学出身・大学教授の経歴を持つ人物は栗山が初めて。

ちなみに、若い頃はかなりイケメンです。さらに頭もいいので、もてないわけはありません・・・

選手時代に「天使というより魔法使い」という楽曲をリリースしている。これは黒歴史だと思われる。

栗山は、自分の苗字と同じ名前の街である「北海道夕張郡栗山町」に親近感と愛着を抱く。

結果的に、2015年に、栗山町に移住を果たす。

さらに、栗山は、移住先で、少年野球場「栗の樹ファーム」を作った。

栗山はもともと、1989年に上映されたアメリカの映画「フィールド・オブ・ドリームス」に感銘し、自ら野球場を作りたいという考えを持っていた。

自らの私財を投じて、「栗の樹ファーム」を作り、全面天然芝の野球場や、ログハウスを建設した。

栗山は野球道具を集めることが趣味で、自らコレクションしている世界各地の野球関連グッズの展示コーナーをファームに作った。

「栗の樹ファーム」では少年野球教室や大会が開かれ、子どもたちの夢を育む舞台にもなっている。

以上が、栗山英樹さんの現役実績と面白エピソードでした。

最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。

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