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【広島カープ一筋の精密機械】北別府学の経歴と面白エピソード!

【広島カープ一筋の精密機械】北別府学の経歴と面白エピソード!

元プロ野球選手、北別府学さんの経歴や面白エピソードについて、解説します。(以下、敬称略)

北別府は、鹿児島県出身のプロ野球選手です。

先発投手として、広島カープ一筋で、19年間活躍し、数々の投手タイトルを獲得しました。

広島カープのみに在籍して、200勝を達成したのは、北別府のみです。

北別府のプロ入りの経緯

北別府は、宮崎県立都城農業高等学校で1年生からエースとして活躍しました。

2年生、3年生の夏は、共に、県予選の準決勝で敗北し、甲子園には出場していない。

ただし、県予選での完全試合達成などがプロから注目を集め、1975年のドラフトで、1位指名されて、広島カープに入団した。

北別府には、当時の日本ハムファイターズの監督、大沢が目をつけていたが、日ハムのフロントやスカウト陣の反応が薄く、獲得を見送った。

大沢は、のちにこの時のことを後悔している。

広島時代:1年目から10年目

北別府は、1977年、プロ2年目から、先発ローテーションに入り、活躍した。

1978年、プロ3年目には、10勝をあげた。

1979年、プロ4年目は、17勝、11敗、防御率3.58の成績を残す。

チームトップの17勝をあげ、リーグ優勝に貢献した。

プロ5年目、6年目も、12勝5敗、16勝10敗と、安定的なピッチングをみせ、チームのエースとして活躍した。

1982年、プロ7年目には、20勝8敗、防御率2.43の圧巻の成績を残す。

この年、北別府は、最多勝と沢村賞のタイトルを獲得し、チームのリーグ優勝に大きく貢献した。

プロ8年目から10年目も、12勝、13勝、16勝、防御率3点台というエースの名に恥じない成績を残した。

プロ10年目は、勝率.727で、最多勝率のタイトルを獲得した。

広島時代:11年目から引退まで

1986年、プロ11年目、北別府は、18勝4敗、防御率2.43、勝率.818と圧倒的成績を残した。

最多勝、最優秀防御率、最高勝率、沢村賞、シーズンMVPと、先発投手のタイトルを総なめにした。

チームはシーズン優勝を果たし、北別府は、名実共に球界№1投手になった。

この年、広島カープが優勝を決めた試合に、北別府は先発していた。

8回まで投げていて、当然、9回まで完投して、自分が胴上げ投手になることもできた。

しかし、北別府は、当時、抑えのエースだった後輩の津田に自らマウンドを譲った。

プロ12年目、13年目は、10勝14敗、11勝12敗と、2桁勝利はあげるも、負け星が勝ち星を上回った。

1989年、プロ14年目は、9勝10敗、防御率5.48だった。さらに、規定投球回に達しなかった。

プロ2年目から、12年間続いていた、規定投球回到達が途絶えた。

さらに、プロ3年目から、11年間続いていた、二桁勝利が途絶えた。

1990年、プロ15年目、8勝4敗で、またも規定投球回に到達できず、北別府の限界説が流れた。

1991年、プロ16年目、11勝4敗、防御率3.38の成績を残し、北別府は復活した。

この年は、勝率.733で最多勝率のタイトルを獲得し、チームはリーグ優勝を果たした。

1992年、プロ17年目、14勝8敗、防御率2.58で、完全復活といえる成績を残した。

この年の7月16日、中日ドラゴンズ戦で、プロ通算200勝を果たした。

北別府は、シーズンオフの契約更改で、広島初の1億円プレーヤーになった。

1994年、プロ19年目、北別府は、この年限りでの現役引退を表明した。

ホーム最終戦で、引退登板が予定されていたが、優勝争いが白熱していて、北別府の登板はなかった。

北別府の引退試合は、翌年のオープン戦で行われた。

北別府は、現役引退後、広島カープの投手コーチを4年間務めた。

北別府学の面白エピソード

現役時代は高橋慶彦と犬猿の仲

高橋慶彦は、広島カープで、北別府の1つ先輩にあたるスター選手だった。

北別府は投手で、高橋はショートだったので、守備では連携する必要があったが、互いに口もきかない関係だった。

一時期は、北別府が投げている時に、高橋が守るショートに打球が飛ぶと、高橋がエラーするという噂が広まった。

他球団は、北別府が投げている時は、ショート方向に打てとやじっていた。

高橋慶彦は、自らのYouTubeチャンネルとエラーをしようと思ったことだけは絶対にないと説明している。

高橋は、北別府よりも常に、高い車に乗るなどして、強くライバル視していた。

「精密機械」と呼ばれ研究対象に

北別府は、コントロールが抜群だったことと、非常に理想的な美しい投球フォームだったことから「精密機械」と呼ばれていた。

広島大学の研究者が北別府の肩の動作解析を行ったことがある。力学的に全く無駄な力が入っておらず、自然に肩が回転していることから驚愕したエピソードがある。

当時バッテリーを組んでいた達川光男は、北別府の投球について、「ミットを動かさずに捕れる」と言っていた。

筋肉番付のストラックアウトでパーフェクト

広島投手コーチ時代に、テレビ番組の9枚のパネルを抜くゲームで、パーフェクトを達成した。

現役のプロの投手でも、パーフェクトを達成できる選手はほとんどいなかった。

以上が、北別府学さんの経歴と面白エピソードでした。

最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。

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