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【カットボールの先駆者】中日ドラゴンズ川上憲伸の経歴と面白エピソード

【カットボールの先駆者】中日ドラゴンズ川上憲伸の経歴と面白エピソード

元プロ野球選手、川上憲伸さんの経歴と面白エピソードを紹介します。(以下、敬称略)

川上は、プロ通算18年、中日ドラゴンズとメジャーでプレーした選手です。

獲得したタイトルは、数知れず!主要なものだけで…

  • 新人王
  • 最多勝:2回
  • 最多奪三振:1回
  • 沢村賞:1回
  • セリーグMVP:1回
  • ベストナイン:2回
  • ゴールデングラブ賞:3回

川上は、真面目そうなりりしい顔立ちをしていますし、現役時代、マウンド上で、闘志あふれる表情をみせていました。

ただし、素の川上憲伸は、“天然系・少年系おふざけキャラ”です。

試合中でも、頭の中では、相手のことを若干バカにして、イジっていました。

プライベートでは、かなりおっちょこちょいで、少年のような一面をみせていました。

この記事では、川上憲伸さんの経歴や面白エピソードを解説していきます。

ぜひとも、最後までお楽しみ下さい!!

川上憲伸の経歴:プロ入りの経緯

川上は、1975年、徳島県徳島市に生まれる。

中学生時代から野球を始めて、地元の名門、徳島商業高校にスカウトされて進学。

高校3年の夏に、4番・エースとして甲子園に出場する。

2回戦で久慈商業、3回戦で智辯和歌山を破り、ベスト8に進出。(この2試合のエピソードはのちほど説明します!)

準々決勝では、春日部共栄と対戦。川上は、試合中にマメが破れて降板し、チームも敗北した。

高校卒業後は、念願だった明治大学に進学する。

2年生以降は、エースとなり、六大学リーグ優勝2回に貢献した。

東京六大学リーグ通算、57試合登板、28勝15敗、防御率2.14、奪三振311。ベストナイン3回の輝かしい成績を残した。

川上の大学時代、慶應大学の高橋由伸が同学年で、ライバルとして名勝負を繰り広げた。

1997年のドラフト会議で、川上は、中日ドラゴンズを逆指名した。

明治大学の先輩である星野仙一監督率いる中日が川上を1位指名し、川上の中日入りが決まった。

川上憲伸の経歴:中日ドラゴンズ時代前期

1998年、プロ1年目、開幕から1軍ローテーション入りを果たす。

14勝6敗、防御率2.57の成績で、セリーグ新人王を獲得する。

2年目から4年目までは、勝利数1桁で、負け星が勝ち星を上回り、思うような成績を残せなかった。

2002年、プロ5年目、開幕は、靴ずれ(!?)による影響で、二軍スタートとなる。

しかし、このシーズン、川上は、復活を果たし、12勝6敗、防御率2.35(リーグ2位)の成績を残す。

さらに、8月1日の巨人戦では、NPB史上70人目のノーヒットノーランを達成した。

プロ5年目のオフ、年俸が、5300万円から1億1000万円に倍増し、1億円プレイヤーの仲間入りを果たす。

プロ6年目、右肩の怪我、左足肉離れにより、シーズン途中で戦線離脱。4勝3敗に終わる。

2004年、プロ7年目、17勝7敗で、防御率3.32の成績を残し、沢村賞、リーグMVP、最多勝など9つのタイトルを獲得する。

チームは5年ぶりのリーグ優勝を果たすも、日本シリーズで西武に敗れた。

プロ7年目のオフ、年俸が1億500万円から2億3000万円にアップする。

プロ8年目、11勝8敗と2桁勝利は達成するも、防御率が3.74に落ち込む。

2006年、プロ9年目、17勝7敗、防御率2.51で、最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得。

チームのリーグ優勝に貢献するも、日本シリーズでは、日本ハムファイターズに敗れた。

2007年、プロ10年目、12勝8敗で、チームのリーグ優勝に貢献した。

日本シリーズで、日本ハムファイターズに前年のリベンジを果たし、中日ドラゴンズ53年ぶりの日本一を果たした。

川上は、2008年、プロ11年目、12勝8敗の成績を残す。

この年のシーズンオフに、海外FA権利を行使し、メジャーリーグへの挑戦を表明。

アトランタ・ブレーブスと3年契約、総額約23億円の契約を結んだ。(中日時代の最終年俸は、3億4000万円)

川上憲伸の経歴:メジャー挑戦から中日での引退まで

2009年、プロ12年目、アトランタ・ブレーブスでメジャーデビューを果たす。

メジャー初年は、7勝12敗、防御率3.86の成績を残す。

攻撃陣の援護に恵まれずに勝ち星が伸びなかったこともあり、シーズン後半にはリリーフに回った。

メジャー2年目、先発復帰を果たすも、開幕から9連敗を喫し、6月以降はリリーフに回った。

このシーズンの最終成績は、1勝10敗、防御率5点台で、途中、マイナー落ちも経験した。

メジャー3年目、開幕をマイナーリーグで迎える。

さらに、3A(日本の2軍)ではなく、2A(3軍)に落とされてしまったことに、川上は大きなショックを覚えた。

右肩の怪我も重なり、この年、1度もメジャーに昇格することなく、シーズンオフに自由契約となる。

2012年、プロ15年目、中日ドラゴンズへの復帰を果たす。

中日復帰後の4年間は、右肩や腰の故障で、先発・リリーフ、1軍・2軍の配置転換を繰り返す。

2015年、プロ18年目、1軍・2軍共に、実戦登板がなく、シーズンを終える。

川上は、シーズンオフに戦力外となり、退団を表明した。

中日退団の時点では、現役引退を宣言せず、引退試合なども行われなかった。

中日退団後、四国の独立リーグでのプレーを模索するも入団には至らなかった。

川上は、2017年、3月、CBCテレビ「サンデードラゴンズ」に生出演し、現役引退を正式に表明した。

「ユニホームを脱ぐ決意をしました。お世話になった方や声援をくれたファンの皆さんに感謝しています」と笑顔であいさつした。

思い出の試合には、2002年、巨人戦でのノーヒットノーランをあげた。

川上は、日米通算117勝をあげ、沢村賞、リーグMVP受賞という輝かしい成績を残した。

川上の18年間におよぶプロ野球現役生活は、この日、幕を閉じた。

川上憲伸の面白エピソード17選!

※ここからは親しみを込めて“憲伸”と呼ばせて頂きます

➀母親に明治進学のために徳島商業に入れられる

憲伸は、徳島商業以外の高校から先にスカウトを受けていて、内諾していた。

徳島商業のスカウトから「うちに来れば、明治に行けますよ!」と言われ、一瞬で、母親の目の色が変わった。

スカウトは「甲子園でベストエイトくらいまで残ればですが…」と説明を続けたが、既に母親の耳には届いてなかった。

翌日、母親は「憲伸、断ってくるわ!」と言い、出かけていった。先に決まりかけていた高校の入学を辞退してきた。

どんな時代でも母親の思い込みと行動力は凄い・・・!

明治進学のために、甲子園でベスト8に残ることが、憲伸の目標となった。

②甲子園の試合前日に子供と遊んでイップスになる

2回戦の久慈商業戦の前日、憲伸は、空き地で見知らぬ子供とキャッチボールをして遊んだ。

その影響で、試合当日、ストライクが入らなくなり、7点差をつけられる。

なんとか、逆転して、3回戦に進出し、本来の投球を取り戻す。

③イップス克服で投球が進化してマメが潰れる

甲子園中にイップスを克服した憲伸は、ボールが指にかかりまくって、面白いようにストレートが走る。

3回戦では、対抗試合で全く相手にされていなかった智辯和歌山を下す。

しかしながら、準々決勝では、調子が良すぎで指が耐えられず、試合中にマメが破れ降板。

憲伸の甲子園は終わった・・・!

が、明治大学に入るための目標、ベスト8は達成した。この時、憲伸は思った。

「おれにとっての甲子園って、一体なんだったんだろう…」

憲伸にとっての甲子園は“夢”でも“青春”でもなく、“明治”だった・・・

④明治大学に入って地獄を見る

憲伸は念願の明治大学入学を果たした。

大都会東京での生活、華の六大学野球、憲伸は、胸を躍らせて上京した。

しかし、明治大学野球部では、地獄の寮生活・軍隊生活が待っていた。

毎日、掃除、洗濯、食事の準備・片付け、先輩の世話に追われて、大学に行った記憶はない。

毎朝、6時には、島岡吉郎元監督の銅像の前で、校歌を大声で歌わされた。

24時間、ことあるごとに、先輩から集合がかかり、しばかれた。

⑤慶應大学の高橋由伸がうらやましすぎた

明治大学は、実力に関係なく、1年生は、レギュラーになれない決まりがあった。

慶應の高橋は1年生から試合に出て、クリンナップ、主に5番を打っていた。

明治大学は、坊主頭かスポーツ刈りで、服装は襟付きシャツか練習着だった。

慶應・高橋は、ロン毛気味で、ブランド品を身にまとい、足元は、グッチの靴で決めていた。

憲伸はエースになってから、神宮球場で、観客からヤジられまくったが、慶應・高橋は一切、ヤジられなかった。

⑥大学日本代表でふざけて怪我をする

国際大会の決勝戦の数日前、憲伸は、野球ボールに片足で乗って、バランスをとって遊んでいた。

バランスを崩して、足をねん挫し、決勝戦に出れなくなった。当然、コーチ陣から怒られまくった。

憲伸の怪我により、当時大阪体育大学の上原浩二が登板し、完璧なピッチングで相手を抑えた。

憲伸は「上原が注目されたのは、おれのおかげ」と豪語している。

⑦星野仙一に無理矢理中日に入れられる

憲伸は大卒だったため、球団を逆指名する権利が与えられていた。

しかしながら、明治大学の大先輩、星野仙一から、たびたび圧力がかかり、気づくと中日ドラゴンズに入団していた。

徳島商業、明治大学と、厳しい環境に耐え続けた憲伸は、プロに対してキラキラしたはなばなしい世界を夢見ていた。

中日に入団して間もなく、憲伸は思った・・・

「おれは自衛隊に入ったのか?」

「なんでこんなところに来ちゃったんだろう・・・」

⑧外国人投手をなめて痛い目に合う

阪神の外国人投手「ボーグルソン」と対戦した際、憲伸は、なめていた。

「誰だこの外人?」「変なバッティングの構えしてんなー」

実際、ボーグルソンは、メジャーでは打撃経験がほとんどなかった。

憲伸は、初球で戦意喪失させようと、投手相手に得意のカットボールを投げた。

甲子園でいままで見たことないような大ホームランを浴びて、負け投手となった。

⑨沖縄キャンプのランニングをさぼる

憲伸は、中日の沖縄キャンプで「ランニングいってきます!」と言って、海に遊びに行っていた。

戻ってきた時に汗をかいてないと走ってないのがバレるので、海水で全身をびしょびしょにしていた。

⑩キャンプ中は岩瀬とゲーム三昧

遠征先のホテルの部屋に、ゲーム機を持ち込み、岩瀬投手、他数名と、毎日、ゲームに興じていた。

憲伸は、野球ゲームやサッカーゲームで、みんなと対戦するのが大好きだった。

⑪開幕投手が誰か分からなくて大混乱

2004年、就任初年の落合監督は、開幕投手を選手にもマスコミにも一切、明かさなかった。

憲伸は、キャンプ初日、ホテルで落合監督から「今年は開幕ないぞ!」と言われていた。

憲伸も、開幕投手が誰か全く分からなかった。

開幕当日、憲伸は、調整のため球場にいた。

バックスクリーンに先発投手の名前が映し出された。

憲伸には「川〇憲…」が自分の名前に見えた。

「カワ…ケン…??お・おれやん!!まじか!!まじか!!」

憲伸は急いでユニホームに着替えて、猛ダッシュでグラウンドに向かった。

途中で、山本昌さんに止められた。

「憲伸、なにやってんだ!今日は“川崎憲次郎”だぞ!」

憲伸はその場にへたりこんだ・・・!

⑫落合監督に今日のスタメンは誰がいいか聞かれる

ある日、登板前に、憲伸がマッサージを受けていると、落合監督が突然現れた。

「憲伸、今日のセンター誰だ?決めろ!アレックスオチョアか?英智か?」

「今日のキャッチャーどうする?谷繁か?小田か?」

川上は「谷繁さんでお願いします!」と即答した。

⑬MLBで“ドラゴンスレイヤー”と呼ばれる

憲伸は、ブレーブスに移籍した1年目序盤、メジャーを代表するエース級に次々と投げ勝ったことから“ドラゴンスレイヤー”(竜殺し)と呼ばれる。

当然だが、定着はしなかった・・・

⑭多くの打者を育てたと自信満々に語る

憲伸は、若手時代の無名の選手や、クビになりそうな選手に、よくホームランを打たれた。

憲伸からは、阪神・関本、広島・菊池、横浜・新沼、西武・福地の名前が挙がっている。

阪神・関本のバットを短く持つスタイルに「大道さんの真似してんのかな?」と思っていたら、満塁ホームランを打たれた。

広島・菊池は「誰だ、このちっちゃい子は?」と思って投げたら、カットボールをスタンドに運ばれた。

そこから菊池は広島で不動のレギュラーになった。

横浜・新沼は、プロ10年目の初ホームランを献上した。

西武・福地は、スコアラーからは、初球は振らないからストライクを取りにいけと言われていた。

プレイボール直後の初球、フェン直のスリーベースヒット。次の打席でホームランを打たれた。サイクルヒットをされかけた・・・

憲伸は引退後「彼らを育てて球界に貢献した」と豪語している。

⑮谷繁のサインをたまに無視する

憲伸は、ちょくちょく、谷繁のサインに納得がいかないと、首を振らず投げたい球を投げていた。

引退後の対談でのやり取り・・・

  • 谷繁「憲伸さー、なんでたまにおれのサイン無視してたの?」
  • 憲伸「谷繁さんなら取れると思って・・・(笑)」
  • 谷繁「いや!!首振れよ!!」

⑯吉見にカットボールの投げ方を教えるが意味不明

憲伸の跡を継ぎ、中日のエースになった吉見一起は、現役時代、憲伸にカットボールの投げ方を聞いた。

「握りは、ストレートと同じでいいんよ。あとは、曲がれ!!!って思って投げればいい」

吉見にとって、全く参考にならず、吉見の球種にカットボールが加わることはなかった。

⑰野球チーム“憲伸ブレーブス”の監督になる

憲伸は、2023年7月、軟式野球チーム“憲伸ブレーブス”を発足させた。

トライアウトを開催して、23名の選手を選抜し、活動している。

国内最大規模の軟式野球大会「MLBドリームカップ」の全国大会出場を目指している。

女子マネージャーには、宮城弥生さんが就任しており、オリックスで活躍する宮城大弥投手の妹である。

憲伸ブレーブスの活動の様子は「川上憲伸 カットボールチャンネル」で配信されている。

以上が、川上憲伸さんの経歴と面白エピソードでした。

最後までお読み頂き、本当にありがとうございました!

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