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【天然?】石井一久の実績&面白エピソード!三振の山を築いた本格左腕!

【天然?】石井一久の実績&面白エピソード!三振の山を築いた本格左腕!

元プロ野球選手、石井一久さんの経歴や面白エピソードについて解説します。

石井は、日本の元プロ野球選手であり、野球指導者です。

現役時代は、ヤクルトを中心にプレーし、4年間はメジャーでもプレーしています。

先発本格派の左腕であり、スピードのある速球とスライダーを中心とする変化球で、三振の山を築きました。

1998年:プロ7年目には日本記録(当時)となる奪三振率11.047を記録しました(現在の記録保持者は千賀滉大)

2023年には、楽天イーグルスの一軍監督に就任しています。

ちなみに、妻は、元フジテレビ、現フリーアナウンサーの木佐彩子さんです。

この記事では、石井一久の「プロ入りの経緯」、「ヤクルト時代」、「メジャー時代」、「日本球界復帰」、「人物像と面白エピソード」の順で説明します。

ぜひとも、最後までお楽しみ下さい!

プロ入りの経緯

石井は、親戚がヤクルトスワローズOBであり、幼少期から野球に親しんでいた。石井は元々サッカー経験も豊富で、野球よりもサッカーをやりたかったと話している。

高校時代に投手に転向し、注目を集めた彼はプロ野球選手としての才能を見出された。

ドラフト前には巨人と西武に加え、地元の千葉ロッテも彼を指名候補として考えていたが、石井自身はヤクルトに入団することを熱望していた。

最終的にヤクルトから単独1位指名を受け、8000万円の契約金で入団した。背番号は16番だった。

ヤクルト時代

1992年、石井はプロ1年目で登板した12試合で勝敗はつかなかった。しかし、日本シリーズ第3戦では高校卒業後の新人ながら史上初のレギュラーシーズンでの未勝利ながら先発登板を果たした。

1993年:プロ2年目にはプロ初勝利を雨天コールドゲームで達成し、1994年には投手不足のため中継ぎや先発として活躍。

1995年:プロ4年目には規定投球回数到達と2桁勝利を達成し、リーグ優勝・日本一の中心選手となった。

しかし、1996年:プロ5年目は左肩の手術の影響で開幕に間に合わず、再手術を行った。

1997年:プロ6年目はリハビリを経て復帰し、ノーヒットノーランを達成。チームのリーグ優勝に貢献し、日本シリーズでも活躍した。

1998年:プロ7年目には開幕投手を務め、自己最多の14勝と日本新記録の奪三振率を達成。

1999年:プロ8年目には開幕勝利やオールスターゲームに出場するも、怪我に悩まされ8勝に終わった。

2000年:プロ9年目には開幕投手として連続6者連続奪三振を記録し、最優秀防御率と最多奪三振の二冠を獲得。

2001年:プロ10年目にも開幕投手を務め、優勝に貢献し、日本シリーズでは優秀選手賞を受賞した。

石井はメジャーリーグ挑戦の夢を持ちながらも、アメリカ同時多発テロ事件の影響で一時的に断念する。

メジャー時代

2002年:プロ11年目、石井がロサンゼルス・ドジャースに移籍し、3年間で1230万ドルの契約を結んだ。

彼はデビュー戦で好投し初勝利を挙げ、球速も96mph(約156キロ)を計測してチーム最多タイの10奪三振を記録した。

4月は5勝0敗でリーグ月間最優秀新人賞を受賞し、前半戦では11勝を挙げたが、後半戦では不調に陥った。9月の試合で頭部に打球を受け大怪我を負い、シーズンを終えた。

2003年:プロ12年目の前半戦終了時にNPBとMLB合算で100勝を達成し、好成績を残したが、左膝の古傷が悪化し故障者リスト入りした。

2004年:プロ13年目には投球にカットボールやチェンジアップを取り入れ、前半戦で10勝を挙げたが、後半は調子を崩し、中継ぎに降格した。

その後、トレードの話が浮上するも破談となった。

2005年:プロ14年目、石井はニューヨーク・メッツに移籍し、故障者リスト入りやマイナー降格など苦労を経験したが、貴重な経験として捉え、野球人生に生かす意欲を示した。

日本球界復帰

石井は2006年:プロ15年目にヤクルトに復帰し、2年契約年俸2億4000万円プラス出来高6000万円で契約。シーズンを通じて先発投手として活躍し、11勝を挙げた。

2007年:16年目にはNPB通算1500奪三振を達成し、2564日ぶりの完封勝利も記録した。しかし、安定感を欠き、9勝10敗、防御率4.16に終わった。

その後、FA権を行使し、新たな環境を求めて西武ライオンズに移籍。

2008年:プロ17年目にはNPB通算100勝を達成し、チームは日本一となった。

2009年:プロ18年目には背番号を16に変更した。被打率は下がったものの、奪三振数は投球回数を上回る記録を残した。

2010年:プロ19年目には9回完投勝利を挙げ、12球団勝利を達成。しかし、勝利数は9勝止まりで、クライマックスシリーズでは登板しなかった。

2011年:プロ20年目には通算2000奪三振を達成し、プロ野球史上最速記録となった。シーズンでは6勝に終わり、リリーフに回ることもあった。クライマックスシリーズではリリーフで好投し、チームの進出に貢献。

2012年:プロ21年目には5年ぶりの完封勝利や初の無四球完封を記録。しかし、怪我で一時二軍落ちし、10勝目以降は勝利がなかった。クライマックスシリーズでは好投したが、後続の投手の打たれたため敗戦投手となった。

2013年:プロ22年目には左肩の不調に悩まされ、わずか7試合の中継ぎ登板に終わった。石井は同年に引退を発表した。

引退セレモニーでは、木佐彩子夫人が見守る中、長男の投球を受けた。声援にこたえるためのグラウンド1周を電動立ち乗り2輪車セグウェイで行うなど石井らしいユーモラスな演出を行った。

人物像と面白エピソード

石井一久の愛称は「ピン」。

子供の頃は野球に興味がなかったが、打者として参加した際に偶然本塁打を打ち、注目を浴びるようになった。

プロ入りのきっかけは高校卒業後にスカウトが多く訪れたため。

引退の理由はマンネリ化を感じたため。記録にこだわりを持たず、200勝についてもあまり重要視していない。

浜田雅功や相葉雅紀との親交がある。浜田は試合前のセレモニアルピッチに登場したが、ドッキリにハマって笑いが起きた。

2010年には犬のペロを飼い始め、ヒーローインタビューでペットの近況を報告していた。

石井一久の実績とエピソード解説は以上となります。

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