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【巨人の若大将】原辰徳の実績&面白エピソード!ジャイアンツに生涯を捧げる男!

【巨人の若大将】原辰徳の実績&面白エピソード!ジャイアンツに生涯を捧げる男!

元プロ野球選手、原辰徳さんの経歴や面白エピソードについて解説します。

原は、現役時代は、読売巨人軍で、15年間プレーしています。

1980年代から1990年代中盤にかけて巨人の4番打者を務め、ON時代後の巨人を支えた強打者でした。4番としての出場試合数は球団歴代4位です。

原は、入団から12年連続で本塁打20本以上を記録し、6度のリーグ優勝、3度の日本シリーズ優勝に貢献しました。

原は、3度、読売巨人軍の監督を務めています。監督就任期間は、2023年時点で、17年目であり、現役時代の15年間を上回っています。

この記事は、原辰徳の「プロ入りの経緯」、「ジャイアンツ時代」、「人物像と面白エピソード」の順で説明します。

ぜひとも、最後までお楽しみ下さい!

プロ入りの経緯

原辰徳は福岡県大牟田市で育ち、高校時代から野球の才能を発揮しました。

東海大相模高校では甲子園に4回出場し、定岡正二や杉村繁などの名選手と対戦しました。

地区大会の神奈川県大会では、川崎球場を満員にする程の「原フィーバー」を巻き起こした。

その活躍からプロ入りの可能性もあったが、大学進学を選びました。

東海大学では首都大学野球リーグで7回優勝し、原自身も数々の栄誉を獲得しました。

日米大学野球選手権大会の日本代表にも選ばれ、活躍しました。

1980年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツに1位指名され、長嶋茂雄の後継者として期待されました。

前年限りで監督を退任した長嶋が「できることなら(永久欠番になっている)僕の3を譲りたい」と言うほどの惚れこみようでした。

結果的には、高田繁の引退に伴い空いた背番号8をつけることになりました。

現役時代:読売巨人軍

1981年:プロ1年目、原辰徳はプロ野球の開幕戦に出場し、プロ初打席で安打を記録しました。その後もプロ初本塁打やサヨナラ本塁打を放つなど活躍し、新人王に輝きました。

翌年:プロ2年目は、本塁打数を33に伸ばし、最多勝利打点を獲得しました。

1983年:プロ3年目には打率3割103打点32本塁打を達成し、打点王として巨人の優勝に貢献。MVPに選ばれました。

巨人における3割30本塁打100打点の記録達成は、青田、長嶋、王に次いで球団史上4人目だった。

1986年:プロ6年目に手首を負傷し、その後も怪我に悩まされました。だましだましで出場していたが、9月の広島戦、左手首の有鈎骨を骨折。

「事実上、バッター原辰徳は、この骨折の時に終わりました」と後に自らが発言する程の影響があった。

怪我の影響を受けながらも、プロ7年目と8年目は、2年連続で30本塁打を達成しました。

1989年:9年目にはレフトにコンバートされ、開幕戦で通算250号本塁打を放ちました。

日本シリーズでは苦しんでいたが、第5戦で満塁本塁打を放ち、シリーズMVPに選ばれました。

1990年:プロ10年目、原は、左脇腹の怪我により1か月間の離脱を経験しました。しかし、復帰後は打率3割を達成し、チームのリーグ優勝に貢献しました。

さらに、9月にはプロ入り後初の1試合3本塁打を達成し、10年連続20本塁打の記録を更新しました。

1991:プロ11年目には、連続20本塁打の日本記録更新とリーグ新記録の12犠飛を達成し、2年連続ベストナインにも選ばれました。

しかし、チームはBクラスに転落し、年俸も9900万円と、目標の1億円にわずかに届かなかった。

1992年:プロ12年目、左翼守備の不安定さと打撃成績の低下により、一塁手に転向しました。

そして、プロ入り以来の日本記録となる12年連続20本塁打を達成し、日本人選手として初めての1億円プレーヤーになりました。

1993年:プロ13年目、長嶋茂雄監督の下で三塁手に復帰しましたが、故障に悩まされ打撃不振に陥りました。

プロ入り以来初めて規定打席に到達できず、成績は最低となりました。

プロ13年目もアキレス腱の部分断裂などの故障に苦しみましたが、チームはリーグ優勝しました。日本シリーズでは4番・一塁手として出場し、日本一達成に貢献しました。

1995年:プロ15年目シーズンを最後に、原は現役を引退しました。

引退試合では、最後の打席で本塁打を放ち、広島選手会長から花束を贈られました。

原は引退セレモニーで、名言を残しました。

「巨人軍の4番打者には何人も侵すことが出来ない聖域がある。今日、私の夢は終わります。しかし私の夢には続きがあります。」

原辰徳の人物像と面白エピソード

原は電話好きで、選手への入団交渉や励ましのためによく電話をかけることで知られている。時には、入団を促すために同じ相手に、1日3度電話をかけました。

原の電話は、「ジャイアンツ愛」にちなんで「愛のテレフォン」と呼ばれている

原は、相模原市に本社を置く住宅販売業「丸正産業」のイメージキャラクターを務めている。

原は、元首相の安倍晋三と親しい関係でした。安倍は、原の野球殿堂入りを祝う会に出席し、巨人の監督になったことに対して冗談を交えてスピーチしました。

安部さん:「私も甘利さんも『こっちの世界に来ないかなあ』。こんな思いもあったのですが、巨人の監督に就任されましたからあきらめました」

過去に出馬要請があったことも原は認めています。

原の趣味はゴルフであり、50歳の誕生日を迎えた際にはアメリカでゴルフのシニアツアーに参戦しました。関東の名門コースでクラブチャンピオンになったこともあります。

原は、プロレスにも造詣が深く、日本テレビで中継される全日本プロレスやプロレスリング・ノアの試合を観戦し、ゲスト解説も務めていました。

原は愛犬家で、ルーキー時代からボクサー犬を飼っています。

原は長嶋の大ファンであり、彼の指導の下でコーチに就任した後、長嶋のジェスチャーやスタイルを継承しています。

特に本塁打後の出迎えでは目を見開き、両拳を突き出すしぐさが定番となっています。

原はハイタッチではなくグータッチを好んで行う理由として、グータッチの方が手のひらよりも拳同士がしっかり合い、緩慢になることがなく、意思疎通もしやすいからだと述べています。

以上が、原辰徳さんの実績とエピソードでした。ご視聴頂き、本当にありがとうございました。

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