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ソフトバンク藤本博史監督の現役経歴&面白エピソード!あのヒゲはいつから?

ソフトバンク藤本博史監督の現役経歴&面白エピソード!あのヒゲはいつから?

元プロ野球選手、藤本博史さんの経歴や面白エピソードについて解説します。

藤本は、主に、南海ホークス、後のダイエー、現在のソフトバンクで活躍した内野手でした。

勝負強さと、高い出塁率が魅力の中距離打者でした。

現役選手として17年間、プレーしたのちは、ソフトバンクホークスで、コーチ・監督を務めました。

コーチ時代に、後のソフトバンクの主砲、柳田を育成したことも知られています。

2022年からは、ソフトバンクの1軍監督を務めています。

この記事は、藤本博史さんの「プロ入りの経緯」、「現役時代」、「人物像と面白エピソード」の順で説明します。

ぜひとも最後まで、お楽しみ下さい。

プロ入りの経緯

藤本は、大阪府泉北郡忠岡町出身。

天理高校に進学し、1980年、2年夏の第62回全国高校野球選手権に4番打者、三塁手として出場。

チームメイトには、藤本と同じ2年生で、左右のエース川本和宏、小山昌男がいた。両者ともに、のちにプロに進む。

2人のエースの好投もあり準決勝まで進んだが、エースの愛甲猛を擁する横浜高校に逆転負けした。

その後、チームで起きた、いじめや喫煙による不祥事のため、丸1年の対外公式試合禁止の処分を受けた。

藤本達は、3年時の甲子園行きのチャンスを棒に振ることになった。

藤本は甲子園での実績や素質を見込まれ、1982年にドラフト4位で当時の南海ホークスに入団した。

南海・ダイエーホークス時代

藤本は、南海時代の6年間、1軍での出場機会は少なく、主に、2軍で過ごした。

南海時代は、ホームラン数も、年間10本に届かず、7番・8番の下位打順を打つことが多かった。

藤本は、1988年:プロ7年目に、一軍に定着し、108試合に出場。主に三塁手として、88試合に先発出場した。

1989年:プロ8年目、南海からダイエーに変わり、福岡に移転してから、クリーンナップを打つことが増えた。

プロ8年目から14年目まで、7年連続で、2桁本塁打を放った

1992年:プロ11年目に、初めて、全130試合に出場した。

この年、初めて規定打席にも達し、打率.253、20本塁打という成績を残した。

藤本は、その体格から、パワーヒッターというイメージが強いが、どちらかというと中距離打者だった。

元々、状況に応じて逆方向へのバッティングも出来る器用さが持ち味の選手だった。

しかし、慢性的なチームの得点力不足や、ダイエーホークス2年目に監督に就任した田淵幸一による指導もあって、長打を狙っての大振りが目立つようになった。

これによって、バッティングの安定を欠き、打率は2割中盤にとどまった。

一方、打率の割に、出塁率は非常に高かった。

1992年:プロ11年目は、打率.253で、パリーグ28位だったが、出塁率.379で、その年の首位打者よりも高かった。

1994年:プロ13年目、松永浩美がホークスに移籍してきた。

松永は、藤本と同じ三塁手で、NPB史上最高のスイッチヒッターといわれる選手。

藤本は、サードのポジションとレギュラーの座を追われ、控えに甘んじた。

転機は、藤本の打撃技術を高く評価していた打撃コーチ大田卓司の進言だった。

守備位置変更をすすめられて、二塁手に転向し、レギュラーに返り咲いた。

同じく口ヒゲをたくわえていたブライアン・トラックスラーとの一・二塁間は、この年の名物となった。

1995年:プロ14年目、石毛宏典が西武ライオンズからダイエーホークスへ移籍してきた。

藤本は、再びレギュラー落ちの危機にあったが、ここ一番での勝負強いバッティングを見せて踏みとどまった。

この年の得点圏打率はパ・リーグトップの.391を記録した。

しかし、1996年:プロ15年目以降は、若手の台頭や、成績不振により、成績が残せなかった。

1997年:プロ16年目は、一軍定着後としては初めて、一軍本塁打0本に終わった。

オリックス・ブルーウェーブ時代

1998年:プロ17年目、藤本は、金銭トレードでオリックスへ移籍した。出場は42試合に留まり、同年限りで現役を引退した。

藤本博史の人物像と面白エピソード

ヒゲがトレードマーク

藤本は、ホークスがダイエーに売却され、福岡に移転した1989年からヒゲを生やし始めた。

当時、藤本の祖父は、目が悪く、テレビ中継を見ても誰だか分からない状態だった。

祖父が見つけやすいように、藤本はヒゲをはやした。

ヒゲは、引退した現在でも藤本のトレードマークになっている。

藤本柔道ブラックベルト

藤本は、プロ野球選手では珍しく柔道の有段者:黒帯である。

藤本は、体格が良く、門田博光に続く和製大砲として期待された。

しかし、藤本は、門田のようなホームランバッターではなく、中距離打者だった。

セカンドの守備は下手だった BY 下柳

元投手で元ダイエーホークスの下柳剛は藤本について、「ダイエー在籍時には本当にお世話になりました」と述べている。

一方で、守備に関しては自身のYOUTUBEチャンネルで「最悪のセカンド」と、藤本のお粗末なプレーを酷評している。

以上が、藤本博史さんの現役実績と面白エピソードでした。

最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。

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