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打ちまくったキャッチャー!阿部慎之助の現役経歴と面白エピソード

打ちまくったキャッチャー!阿部慎之助の現役経歴と面白エピソード

元プロ野球選手、阿部慎之助さん(以下、敬称略)の経歴や面白エピソードについて、解説します。

阿部慎之助は、読売ジャイアンツで、19年プレーしました。

正捕手の座を長い期間任され、4番、キャプテンを務めた時期もあった。

捕手でありながら通算2000本安打を記録し、打点王、首位打者のタイトルを取ったこともある。

現役引退後は、巨人で、2軍監督、1軍コーチを務めている。

本記事では、阿部慎之助さんの現役時代の実績やエピソードを解説します。

ぜひとも最後までお楽しみ下さい。

阿部の学生時代~プロ入りの経緯

阿部は、千葉県浦安市出身。

中学は、浦安中学校、高校は、安田学園高等学校に進学した。高校で、通算38本塁打を打った。

大学は、中央大学に進学した。3年生の春までは、東都大学2部リーグでプレーした。

阿部の活躍もあり、3年春に2部で優勝し、入れ替え戦を制して、秋には1部に昇格した。

大学4年生の時には、ベストナインに選出され、シドニーオリンピック代表に選ばれた。

2000年のドラフト会議で、逆指名ドラフト1位で、読売ジャイアンツに入団した。

阿部の入団1年目~5年目

1年目で、開幕からレギュラー捕手として活躍した。

127試合に出場し、規定打席には到達しなかったものの、ホームラン13本を放った。

2年目は、127試合に出場し、規定打席に到達。

打率.298、ホームラン18本と打撃好調で、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。

3年目、4年目は、怪我の影響で、出場試合数が、100試合前後となった。

ただし、いずれの年も、打率は3割を記録した。特に、4年目は、規定打席に達し、33本のホームランを放った。

巨人の捕手として、球団史上初となるシーズン30本塁打を記録した。

5年目は、130試合に出場し、レギュラー捕手の座を守り続けた。

打順も5番を任され、打率3割を達成し、ホームラン26本を記録した。

契約更改では、1億4000万円でサインした。

阿部の入団6年目~10年目

6年目は、打率.294で、3割を切り、ホームランは10本にとどまった。

まあ、捕手でほぼフル出場して、この成績は、いまの野球界だと、すごすぎる成績なのですが・・・

7年目、8年目は、打率が2割7分台と、阿部にしては低迷した。

7年目からは、4番に座るようになり、初のシーズン100打点に到達した。

9年目は、打率.293、ホームラン32本と、打撃成績が復調した。

チームのリーグ3連覇と、日本一に貢献した。

10年目は、シーズン40本塁打を達成した。

捕手としては、野村克也・田淵幸一に次ぐ史上3人目の記録だった。

契約更改で、4億円を提示された。

阿部の入団11年目~15年目

11年目は、怪我の影響で、114試合の出場にとどまり、規定打席に到達できなった。

それでも5年連続で、シーズン20本塁打を達成し、ベストナインに選出された。

12年目は、キャリハイとなる打撃成績を収めた。

打率.340、ホームラン27本、104打点で、首位打者と打点王のタイトルを獲得した。

打率は、古田の.339を超える、歴代捕手最高記録を更新した。

ホームランは、リーグ2位、打点は、両リーグトップだった。

リーグ優勝と日本一に大きく貢献し、シーズンMVPを受賞した。

契約更改では、5億7000万円の1年契約で更改した。

佐々木主浩、松井秀喜に次ぐNPBで日本人史上3位の高額年俸となった。

14年目、15年目は、打撃不振に陥った。

打率は、2割5分を切り、規定打席到達者の中で、最も低い打率になった。ホームランも、20本をきった。

16年目シーズンの契約では、減額制限である40%近くの36%(1億8400万円)ダウンを受け入れ、3億2600万円でサインした。

阿部の入団16年目~18年目

16年目は、怪我で出遅れ、91試合の出場にとどまり、規定打席には達しなかった。

4番の座は守り続けたが、キャッチャーの座は守れず、一塁手か指名打者で出場することが多かった。

プロ入り後、初めてキャッチャーでの出場が0のシーズンになった。

契約更改では、6600万円ダウンの年俸2億6000万円となった。

17年目からは、内野手登録となり、一塁を守ることが多かった。

18年目には、岡本和真が台頭してきて、レギュラーの座を奪われた。

怪我以外の理由で、開幕スタメンを外れたのは、この年が初めてだった。

17年目、18年目は、打率も低迷し、代打での出場も機会も増えたが、なんとか二桁本塁打は達成した。

入団1年目から18年連続での2桁本塁打は、清原和博、張本勲に次ぎ歴代3位となった。

阿部のプロ19年目:現役最終年

阿部はこの年、代打の切り札としての出場が増えた。

プロ最終年の6月、史上19人目となる通算400本塁打を達成した。

巨人での通算400本塁打達成は王貞治・長嶋茂雄に次ぐ3人目で、巨人のキャッチャーでは史上初だった。

この年、阿部は、キャッチャーとしての出場を固く決意して、シーズンに臨んだ。

しかしながら、それが叶わなかったことから、原監督と相談し、引退を決意した。

2019年9月27日の本拠地最終戦(DeNA戦)で『ありがとう慎之助』と銘された引退記念試合が行われた。

阿部は、約4年ぶりに「4番・捕手」として先発出場した。

この試合で、公式戦最後の安打、通算2132安打目となる通算406号本塁打をライトスタンドへ叩き込んだ。

この年の日本シリーズでは全4試合に出場した。

初戦で、阿部は、千賀からホームランを放ったが、チームはソフトバンクに4連敗を喫し敗退した。

第4戦終了後に対戦相手であるソフトバンクの選手たちによって、背番号と同じ10回胴上げされ、19年間の現役生活を終えた。

阿部慎之助の面白エピソード

名前の由来はピーター

慎之助の名は母親が池畑慎之介(ピーター)の大ファンだったことから名付けられた

父親も有名選手だった

父は掛布雅之と習志野高等学校で同期であり、掛布とクリーンナップを組んでいた。

掛布が3番・父が4番を打ち、甲子園に出場経験がある。

この影響で阿部は、掛布に憧れて、左打ちにした。

試合中に澤村をしばいた

2012年の日本シリーズ第2戦で、先発の澤村拓一が初回に2つのフォアボールでピンチを招き、さらに牽制球のサインを見逃した。

阿部は、タイムを取ってマウンドに行って澤村の頭を叩いた。

これで澤村は奮起し、8回無失点の好投で日本シリーズ初先発初勝利を飾った。

7年後の阿部の引退試合で、同じシーンが見られた。

2回に登板した澤村に対しサインが合わず、阿部がマウンドへ駆け寄った。

阿部が澤村を叩こうとしたところで、お互いに握手した。

7年前のシーンを再現した一幕が見られた。

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